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人間社会で翻弄する動物の視点から色々綴っています。
 満月と祥ちゃん
2021年09月22日 (水) | 編集 |
食べることだけが楽しみだった、黒猫の祥ちゃん。
満月の晩に天国に旅経ちました。

5年前に、骨と皮だけの状態で保護した祥ちゃん。
保護したてのころ
2015年 保護したての頃のガリガリだった祥ちゃん
このころ、獣医さんからは、AIDSが発症しているようなのでここ数日で亡くなるとも言われていました。
ところが、それから徐々に体重も増え、5年間生きました。AIDSは発症していなかったんです。
そして、死ぬときも発症していなかったと思います。
元気になってから抱っこもできなければ、触らせてくれることもなかった。だから目ヤニも拭けない。
でも猫たちとは折り合いをうまくつける猫でした。

触れない猫の健康管理はとても難しいです。側によると逃げる。トイレにいるときは、わざと見ないふりで通過する。
腎臓がそれほど悪くなっていたことに、気が付いてやれませんでした。
外ネコの年齢はわからないので、彼女が7歳だったのか、12歳だったのか今もわかりません。

気分が少しでもよくなるようにと、10日間、家で点滴をしましたが、食べなくなって4日目、針も刺さらないほどやせ細る体を見て、点滴を続けるべきかどうかすごく迷いました。
亡くなる日、口から血を吐きだすのを見て、
胸が締め付けられました。いつか、私自身の最期に、これほど頑張れるとは思えないのです。
先生に安楽死の相談までした日の夜、ようやく苦しみから解放されました。
最後まで、腎臓が機能しなくなった体で一生懸命息をしていた祥ちゃん。
猫たちを看取るときもいつも感じることは、
最後まで必死に自分の命と向き合ってる生き物の生きることに対する姿勢です。
そんな生き物を人の勝手な都合で殺処分というのは、絶対しちゃいけないことだと思うんです。
それは猫以外の動物に対してでも。外来種も同じです。
虫の息でも生きようとしている動物に対して、そんなことがまかり通っている社会は歪み切ってると感じます。

祥ちゃんの、母ネコのその母ネコのその母ネコの、ずーっと元をたどれば、きっと平安時代か桃山時代か、そんなころに
人の都合で(絹や米や経典なんかをネズミから守るため)、どこかの国から連れてこられた猫の子孫が祥ちゃん。その猫たちが子供を産まないようにしないと、
今の社会では餌をもらうことも認めてもらえない。
コンクリートだらけの町で猫を介して人がもめるから。
一方では、出産させて値札をつけ、売買をする。

祥ちゃんを家に連れ帰って、好きなものを食べさせ、冬は暖かくて夏は涼しい寝床をあげるくらいしか
できなかったけど、これから死ぬまで、中秋の満月には、祥ちゃんのことを思い出す。
最期にようやく抱っこもできて、目ヤニも拭けた。
祥ちゃんとの縁を忘れない。
syouchan 2021_8






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